大阪高等裁判所 昭和30年(う)323号 判決
原判示事実は、原判決の挙示する証拠によつて証明十分である。弁護人の主張は要するに、被告人は、被害者の姿を認めるや時速三十キロを二十キロ程度に落し同時に数回警笛を吹鳴して被害者の注意を喚起している、本件の事故が発生したのは十二月二十七日午前八時三十分頃の早朝であつたから、人通りも少く従つて被告人においても右の警笛が被害者の耳に達していると考えるのは当然である、また、被害者が道路の右端近くを同方向に進行していたのを同人の自宅前において急速に斜に横断したのは、道路交通取締法施行令第九条第二項の「歩行者は斜に道路を横断してはならない」という規定に違反したもので、これは被害者が何事か考えていて不当に注意力を喪失していたか又は警笛の吹鳴には気付いたが小走りに横断しても危険はないと速断したかのいずれかであつて、被害者に重大な過失がある、かような場合に原判決のような注意義務を要求するのは失当である、原判決は被害者の重過失を被告人の過失に置きかえたものであつて審理不尽、事実誤認の違法がある、というのである。よつて案ずるに軽二輪自動車を操縦して両側に人家の並んでいる狭い道路を通行する者は、急に道路へ出て来る者又は不意に道路を横断しようとする者があるときこれを避譲する余地が少いから、事故の発生を未然に防止するため常に進路の前方を警戒し周到な注意をしていなければならないのであつて、その進路の前方を同方向に進行する人を背後から追い越そうとする際には、その者が後から来る車に気付かないで急に進路を変える等不用意に進退する危険があることは日常経験するところであるから、警笛の吹鳴その他の方法によつて二輪自動車の接近を確知させる手段を講じなければならないことはもちろんであるがこれだけでは足りないのであつて、通行人が自動車の接近を確知して安全な位置に退避したのを確認するか、若し、通行人において避譲する模様がないときには、適宜速度を減じ安全にその傍を通過し終るまで終始その姿勢態度を注視し時宜に応じ何時でも急停車し得るような措置を採り、接触衝突等の危険を未然に防止するべき注意義務を負うているのであつて、もし叙上の注意義務を怠つた過失と通行人の死傷との間に相当因果関係が存する以上は、通行人に過失の責あると否とを問わず右運転者は過失致死傷の責任を免れ得ないものと言うべきである。
原判決の挙示する証拠並びに原審証人岸田稔の供述記載、歳頼こと上田歳吉の検察官に対する供述記載及び当審証人岸田稔同上田歳吉の供述記載、原審並びに当審における各検証調書の記載を綜合すれば、被告人は、平素乗用する自家用軽二輪自動車(ホンダドリーム号)を運転し、昭和二十八年十二月二十七日午前八時三十分頃、姫路生野間の県道を北行し、時速約三十キロで神崎郡粟賀村(現在神崎町)字中村二百八番地にさしかかつたとき、前方道路の中央からやゝ右寄りを同じ方向へ急ぎ足で歩行中の同字八十六番地居住村上晴枝(当時四十五歳)を認め、同人の左側から追い越そうとしたが、同所は両側に人家が並び交通が盛で、なお現場のすぐ近くには粟賀小学校の校門があるところであるのに、道路の幅員は約五、四メートルの狭さであるから、周到な注意をしないと歩行者と接触する危険があるにかゝわらず、被告人は、警笛を鳴らしただけで、被害者たる同女が警笛に気付いた模様も避譲する気配も示さず依然として同方向に進行しているのを、同女が軽二輪自動車の進行に気付いてをりその左側を安全に追い越し得るものと速断し、安全な速度に減速することなく道路の左寄りを直進したため、同女が自宅前附近で急に左に方向を変え被告人の進路に出て来るのを認め、あわてゝハンドルを左に切つたが、道幅が狭いため避退することができず、該自動車を同女に接触させ、同女をその場に転倒、頭部を路面に激突させ、脳底骨折によつて同夜死亡する重傷を負わせ、被告人の二輪自動車は左側の側溝に飛びこんで溝蓋に当り停止したものであることを認め得られる。弁護人は、被害者を発見してから速度を二十キロに落したと主張するけれども、被告人の検察官に対する供述調書の記載及び被告人の二輪自動車が被害者をはね飛ばしたうえ側溝に飛びこみ溝蓋に当つて停止した事実に徴し、その主張のような速度に減速したものとは認めがたい。然らば、被告人は右の二輪自動車を操縦するに当り、前叙の注意義務を怠りよつて村上晴枝を死に致したものであるから、原判決が被告人の行為を業務上過失致死罪に問擬したのは正当であつて、右のように、被告人の過失が本件致死の原因を為すことが明白であるからには、被害者が道路を横断するに当り注意を欠いだ過失があつたとしても、被告人においてその罪責を免れることができないのである。記録を精査しても原判決には所論のような違法はないから、論旨は理由がない。
(裁判長判事 松本圭三 判事 山崎薫 判事 西尾貢一)